こんにちは。
新米トレーダー Nです。
※本記事は、トレードとは、直接は関係のない内容になります。
私が現在株式トレードに取り組んでいる理由を、プロフィールに記載しました。
人生においては、誰しもが、何度か、試練というものに直面するかと思います。
私も今、株式トレードに取り組む中で、
試練だなぁと思いながら、毎日奮闘しております(笑)
でも、なるようにしかならないからな、と
あまり考え過ぎずに楽しく取り組んでいるつもりです。
さて、本日は、
私が現在直面している試練、「今までの会社員とは違った生き方を模索する」
ということとはまた異なる、
私が過去に体験しました、もう1つの試練について記載させてください。
半グレの中高時代
少し話はさかのぼるのですが、
私は家庭の事情で、精神的に荒れた十代を過ごしました。
いわゆるグレちゃった状態というのでしょうか。
しかし、元々人と群れるのが得意な性格ではないため、
不良仲間と一緒にグレるとかではなく(笑)
高校生でもOKなアルバイトでお金を稼ぎまくって、
貯金することで、晴らせない鬱憤を晴らすという
一般的なグレ方とは、
少し異なるベクトルのグレ方をしていたように思います(笑)
中身は反抗心の塊でしたが、風貌は、黒髪メガネ、
音楽なんかクラシックとかしか聴かないでしょ?なんて言われることもしばしば、
しかし内面は尖っていて、ギャーと叫び声が響くロックミュージックを聴き、
当時晴らせなかった鬱憤を、発散させている、そんな10代を過ごしました笑
当時は10代で、上手な立ち回りも分からず、
自分のこの気持ちをうまく表現することもできず悩んでいました。
そのため、他人とうまく心を通わせられた、と思うことは、ほぼ皆無だったと思います。
文化祭や運動会も、盛り上がる大勢から外れ、遠くから見ているだけ、
遠足なんかは苦痛でズル休みしていました。
いやがらせなどから、不登校も数回経験しており、
(靴にガビョウ、机に●ねと落書き、自転車を壊されたり・・・)
親にも理解されず、精神科に行き、抗うつ剤を飲んでいた時期もあります。
はい、黒歴史ですねw
少し重たい話となってしまい、すみません。
今思い出してもよくあのメンタリティで生きていたなwとビックリです。
正直、あの頃に戻れるならもっとうまく立ち回って、
青春を謳歌したかったです。
話が飛びましたが、私が体験した試練とは、
その後、高校を中退し、大検取得と大学受験をした経験です。
試練(高校中退~大学受験)
経緯をまとめると、
私は高校入学直前の3月に親の転勤が決まり
見知らぬ土地に引っ越すこととなりました。
その頃、唯一の心の癒しであったペット
(小型動物を飼っていました)がいましたが、
転居先では飼えないと親に言われ、
反抗するも15歳の何もできない無力な私は、最終的には従うしかなく、
ペットともお別れすることに。
慣れた土地から離れること、
最愛のペットと離れてしまったショック、
それらの苦しみを理解してくれる人の存在が、当時はいなかったこと、
そしてすぐに新たに、高校という全く違った場所へ馴染まなければならないこと。
落ち込んでいた私は毎日泣いて登校できず、
かろうじて抗うつ剤を飲んで中学の卒業式だけ出るという、
思い出すだけでも気分が重くなるような、中学最後を過ごしました。

中学生なのに、昼夜逆転し、
昼は寝て、夜中に本気で●にたいと考え、
結構ヤバい時期だったように思います。。。^^;
その後、春休みを挟み、高校の入学式にはなんとか出て、
なんとか振り絞って、ズル休みしながらも半年ほど通いました。
しかし友人ができることもなく、向こうからは寄って来てくれるのですが、
自ら振り払っていたように思います。
(あの時優しく声をかけてくれた人たちよ、
本当にありがとう、そして冷たく対応してごめんなさい…)
相変わらず心を誰にも開けないままでしたが、
親に頼りたくないという反抗心の塊だったため、お小遣いをもらうのが嫌で、
近かったからという理由で近所でアルバイトを始めました。
レストランのホールの接客業でした。
(人に心を開けずではありましたが、
表面上のコミュニーケーションはおそらく問題がなかったのでしょう、
面接は受かりました)
始めてみると、その楽しいこと。
元々繊細で細かなことに気がつく性格のため、
お客様相手に気遣いをするのは得意でしたので、
学校や家庭では仇となって来た繊細な性格が、
むしろ求められるではありませんか。
どこにでもある、チェーンのレストランではありましたが、
お客様に「ありがとう」と言ってもらえること、
常連さんと交わす世間話など、
私にとってはこれまで感じたことのない楽しさがありました。
小さくはありましたが、社会に役立つ経験をすることで、
同時にこれまで傷ついて来た心も癒されました。

私は次第に高校に行くよりも、
アルバイトのシフトを入れるようになってしまい、
親の扶養ギリギリラインまで働きました。
バイト先の店長は、本当に高校行かなくて大丈夫なの?と
心配していましたが、
とにかくシフトを入れてくれ、と頼んで働きまくりました。
そうこうしているうちに、
ペットを失った悲しみなども次第に癒されていき、
メキメキと元気になって、
バイト先でその接客が評価され、
アルバイトさんや社員さんを表彰するパーティーへ招待されたりして
とても楽しかったです。
(●かいらーくグループのパーティーでした。
品川プリンスホテルで開催され、華原朋美さんがゲストで、
生歌を初めて聴くこともでき、楽しかった笑)
毎日楽しそうにしていたからか、
バイト先で突然数名から言い寄られたりとw
短い人生ながらも、こんな経験は初めてで、
「やっと夜が明けたか!」と言った感じで
とにかくアルバイトを楽しんでいました。
しかし、現実に目を向けると、
高校は不登校状態。
このままアルバイトばかりしていて、
どうしよう。お金は溜まっていくけど、、、
そんな思いでいたある日、
バイト先で言い寄って来た男性のうち、1人と付き合うことになりました。
最初は彼はバイト先の大学生、ぐらいに思っていたのですが、
次第に、日本では最難関レベルの大学生であることなどが、わかっていきました。
(あ、付き合ったきっかけは、学歴とかじゃないですよ!w)
私が高校に行かずにアルバイトばかりしていることを知り、
優しく話を聞いてくれたのが彼だったから、自然と付き合ったんだと思います。
彼と付き合いだし、大学生の生活ぶりなど話を聞いているうちに、
私は次第に決意が固まっていきました。
楽しそうに大学生活を過ごす彼に憧れ、
私も彼のように学生生活を謳歌したい!と願うようになり、
思い切ってずるずる在籍して来た高校を辞め、
大学受験に臨むことにしたのです。

その頃、親とは、
高校に行かず、反抗してばかりの私を、
どう扱っていいかわからないといった、
微妙な関係が続いていました。
そんな中で、高校を辞めることを伝えると、
もちろん親には反対されましたが、
絶対に大学受験すると説明し、
親は本当に?と疑った様子でしたが、
何か希望を感じたのか、
了解を得て、退学することとなりました。
それが、高校2年生の秋のことです。
そこから、私は「残り1年」で
現役で大学受験し、
大学生になるという目標を叶えるための
期間ギリギリの中での、勉強生活が始まりました。
(今思うと、よくそんな無茶な決断をしたなと、びっくりです。。。)
私はアルバイトで稼いだお金は、
特に使わずに貯めて来ていたので、
そのお金をとりあえず参考書の購入にぶっ込んで、
大検(※)と大学受験勉強を両立させながら、
定期的に全国模試を受けるという毎日を、
過ごしていきました。
(※正確には「高校卒業程度認定試験」といいますが、
分かりやすく大検と呼ばせていただきます)
最初は全教科、偏差値が本当にヤバかったのです。
全体的に、35〜42位でした。
まともに高校へ行ってすらなく、
中学でさえ、不登校なども重なっていましたから、当然でした。
今まで勉強を楽しいと感じたことは無かったのですが、
大学生活を謳歌する彼の影響もあってか、
私は勉強への意欲が高まり、学力はめきめきと上がっていき、
大学受験半年前の8月、(高校に在学していれば高3の夏)
幸い、大検は一発で合格することができました。
その頃、特に得意としていた英語は、
偏差値65〜70位はあったでしょうか。
人間やれば出来るものなんだな、
と、初めて努力が実を結ぶという手応えを感じました。
夢中で勉強していきましたが、
ふと我に返ると、
「自分は中卒フリーターである」という事実しかありませんでした。
時折怖くなり、通信制の高校に入り直した方が良いのではないか
とかも考えることもありました。
ですが、こういう流れになってしまったんだから仕方がない、
(もし神様がいるなら)乗り越えられない試練は与えない、と言われますし
どうにかなるさ、大丈夫、と謎に開き直っていましたw
というか、そう信じてやっていくしか、
もう現状を変える方法がないなって思っていました。
大学受験を終え、楽しい大学生活を送っている自分の姿を想像すると
モチベーションが上がり、
さらに勉強し、メキメキと模試の成績は良くなりました。

私は、まるでゲームをクリアしていくような感覚で
ラスボスの受験に向け、
自分をめきめきとレベルアップさせていく感覚に
快感を覚えていました。
後ろを振り向くと、現実に引き戻されそうで
ストイックに取り組み、前だけをみていました。
長期にわたって、集中状態が続いていたように思います。
当時付き合っていた彼にも時折勉強を教えてもらい、
(彼は理数系だった)
受験直前の冬には、いつの間にか、
東大の数学の問題も解けるようになっていきましたw
(今はもう公式とかは忘れちゃいました)
センター試験も受けました。
一番得意とする英語は、目標どおり9割点数を取れたりと、
順調で、このまま行けば親にも良い報告ができるぞ、
と気合を入れていました。
追い込みすぎて、限界を迎える
しかし、私はその頃、
気づいていないところで限界が来ていたようです。
どうやらストイックにやりすぎたようでした。
当時、朝は決まった時間に起きて運動し、
8時から勉強開始。
休憩を挟みながら夜中0時頃まで勉強するという
ブラック企業のような生活スタイルで勉強していたのです。
当時は、私立大学だけではなく、国公立も視野に入れていたので、
10教科以上、ゼロから勉強するには、
そのくらいの時間が必要だったのですね。
やがて、受験直前の時期に、
全身に蕁麻疹が出てくるようになってしまいました。
病院に行っても原因はストレスだといわれ、
アレルギー薬を飲んで休養するしかない、と言われてしまいました。
そして、その頃から急に
「やっぱりできない」「無理」という
精神的な揺らぎが発生しだしてしまったのです。
志望校の受験日には、朝から泣いてしまい、
1年間、一生懸命、勉強して来たにもかかわらず、
志望校の試験を受けに行けなくなってしまったのでした。

文字通り、プツンっと
いままでピンピンに張っていた糸が切れてしまったようでした。
親にも反抗し、友達も作らず、
唯一相談できそうな彼氏にさえ、弱音を吐かず、
誰にも胸の内を明かすことなく、
ひとりで淡々と積み上げてきた
それが、一気に壊れてしまった、、、
そんな感覚でした。
私に足りなかったこと(学び)
・・・今思えば、もっと上手いやり方はあっただろうと思います。
当時はインターネットでそういった情報も得られるものが少なく、
情報収集は本がメインだったこと、
あとは自分の限られた人生経験の中から、
少ない知恵を振り絞ってやっていくしかありませんでした。
また、圧倒的に、私に足りなかったことが1つ。
気付いたのです。
「人に相談すること」
「頼ること」
「助けてもらうこと」
でした。
私は、当時付き合っていた大学生の彼に、
たまに勉強を教えてもらうことはありましたが、
彼とも会えるのは良くて月1とかで、
私は文系、彼は理数系で分野が違い、
ほぼ一人でやっていたも同然でした。
親に頼んで、塾に行かせて貰えばよかったと後悔しました。
(バイトでは、塾に行けるほどのお金は溜まっていなかった)
そこで、同じように頑張る学生たちと、
心を開いて打ち解けたりしながら、やっていくこともできたのでは?
そうしたら、違う結果になっていたのではないかと。
最終的に私は、志望校以外(滑り止め)には無事受かり、
行くことになりました。
あと1年浪人して頑張ることはできませんでした。
一人で頑張り続けてきて、もう心が張り裂けそうになっていたのです。
もうどこでもいいから、楽しい学生生活が送りたい。
元々偏差値35位だった、中卒フリーターだったのだから、
大学生になれただけで奇跡だよ。
そう考えることにしました。
100%望んでいた結果ではなかったとしても、受け入れて楽しむ
1年間頑張り続けたにもかかわらず、
結局、志望校に行くことはできませんでした。
しかし、私が当初目指していたのは、
志望校に受かることではなく、
大学生活を存分に楽しむ事でした。
それを思い出し、
気持ちを切り替えて入った大学は、
今まで経験したどの学生時代よりも楽しく、
友人もでき、毎日がぽかぽか小春日和のような気持ちで
楽しい4年間を過ごしました。

(大学受験を支えてくれた彼とは、残念ながらお別れとなりました)
一方、就職活動では、高校中退という肩書きが、
非常にネックになりました。。。
ガッツリ、リーマンショックによる就職氷河期世代でもあったので、
肩書きのせいで書類選考はさらに通りにくいし、
通ってもいちいち突っ込まれる面接で、
自分の肩書きを恨みましたw
しかしなんとかうまく面接をかわし、
幸いこんな私でも拾ってくれる企業に出会い新卒で就職、
その後転職も経験し、
直近の会社は、日本最大手のグローバル企業に勤めたりと、
運は良かったようです。
これからの挑戦
穏やかに学生生活を送ったとは言えない、
少しだけ波瀾万丈な10代を過ごしたこともあり、
結婚相手は、人生のアップダウンのない人が良いと、
今の夫と結婚しました。
そして20代〜30代前半の今までは
(小さなアップダウンはありつつも)
とても落ち着いていて、2人の子供も授かり、
私の望んでいた、安定的で落ち着いた家庭を築き上げられた、
そう思っていました。
しかし、今回、仕事を休職→退職することになり、
そして、再就職せず、
株式トレードに取り組むなんぞ、思ってもいませんでした。
さて、私はこれからどうなってしまうのでしょう。(他人事か?w)
こうして体験談を文章に起こしてみると、
まるで自分自身が、自分という人生の映画を見ているような気分になります。
次はどんな展開になるのかなぁ。
過去の試練として、体験談をまとめた理由は、
今、たとえ、現状が望ましくなかったとしても、
今まで何とかなってきたことを思えば、
不思議と「 人生、なんとかなるさ」と思えて来るなぁ、なんて思ったからです。
(過去、悲観的な時期もありましたが、紆余曲折を経て
いまはどうやら楽観的な性格になったようですw)
私はこれらの大学受験の経験から、
自分ひとりでがんばることも、もちろん大切ではありますが、
自分を追い込みすぎず、労っていくこと、
並行して、
人に相談する、頼る、助けてもらう、
人に心を開くことの大切さを、学びました。

そして、
現状がどんなに望ましくなくても、
人生には流れというものが存在する気がしています。
その流れを信じて取り組めば、自ずと道が開けていくことを
実際に体験してきたように思います。
(最終的に、100%は自分の望んでいた結果とならないこともあり、
しかし、それも流れとして、受け入れていくことも大切)
今回の、株式トレードを通して、
会社員ではない違った生き方を模索する、ということについても、
同様に、会社辞めることになってしまったんだから仕方がない、と
流れを信じて進んでいる最中です。
そして、10代の頃には持つことのできなかった、考え方のしなやかさ、
人に心を開く、頼る、助けてもらってもいいのだということ
自分を労わりながら過ごすこと(コン詰めるとどこか身体がおかしくなります)
その中で、自分を追い込みすぎず、
楽しみながら、目標を一つずつクリアして叶えていけばいい
それらを体現しながら、挑戦していければなと思っております。
まだまだ未熟者ですので、
うまく出来ないかもしれませんが、
ブログをお読みいただ方々とも、一緒に成長していければ嬉しいです。
ぜひ、お付き合いくださいますと、光栄です^^
最後までお読みいただきありがとうございました。